Author:
佐川英治 (Sagawa, Eiji)
Publisher:
勉誠出版
Publication Month:
2016. 2
Abstract:
日本の平城京や渤海の上京の模範となった唐の長安城のプランは、中国の伝統的な都城のイメージとは一線を画すものであった。唐・長安城のプランの淵源はどこにあり、それはいかなる意味をもつものだったのか。漢から唐にかけて、都城の設計の起点が宗廟から南郊、円丘へと移っていく過程を検証し、唐・長安城の基本設計が北魏・洛陽城に始まることを明らかにする。さらに、日本の藤原京から平城京への遷都と北魏の洛陽遷都および隋の大興城遷都との比較検討を通じて、古代東アジアにおける都城の理念を明らかにする。
“本書考察了自漢到唐期間中國古代都城的設計與空間配置的變化,提出了以下的觀點:都城的設計最初是以擔當祭祀功能的宗廟為中心,而後轉為南郊(郊祀),之後則是圓丘。圓丘的出現有其劃時代之意義,象徵古代都城的設計脫離了《考工記》的內容,一如均田制之於井田制之轉變。圓丘出現於北魏的洛陽城,它是此後隋代大興城、唐代洛陽城的藍本,也影響到了古代日本與渤海國的都城設計。”(轉自台大東亞文化研究論壇)
Table of Contents:
序
序論 中国古代都城史研究序説
一 中国史上における隋唐都城プラン─那波利貞と陳寅恪─
二 都城と礼制─楊寛の「坐北朝南」論─
三 中国都城プランの内在的発展説とその課題
第一章 宗廟と禁苑─中国古代都城の神聖空間─
はじめに
第一節 都城と宗廟
第二節 宗廟を中心となす都城観念
第三節 「左祖右社」への道
第四節 儀礼空間としての禁苑
おわりに
第二章 漢代の郊祀と都城の空間
はじめに
第一節 前漢長安城における南北郊の設置
第二節 王莽による郊祀制度改革
第三節 南北郊路と後漢洛陽城
おわりに
第三章 「奢靡」と「狂直」─洛陽建設をめぐる魏の明帝と高堂隆─
はじめに
第一節 明帝の「奢靡」
第二節 長安と洛陽
第三節 高堂隆の「狂直」
おわりに
第四章 曹魏太極殿の所在について
はじめに
第一節 太極殿の漢南宮所在説について
第二節 太極殿の所在をめぐる考古学的アプローチ
第三節 『文館詞林』「魏曹植毀●(*)城故殿令一首」の理解をめぐって
第四節 魏晋洛陽城と北魏洛陽城の連続性について
おわりに
第五章 北魏平城の鹿苑の機能とその変遷
はじめに
第一節 鹿苑の規模と景観
第二節 鹿苑の資源と機能
第三節 狩猟場としての鹿苑
第四節 鹿苑の変化と陰山の環境
おわりに
第六章 北魏洛陽城の形成と空間配置─外郭と中軸線を中心に─
はじめに
第一節 北魏洛陽外郭城の復元
第二節 北魏外郭城と中軸線
第三節 洛陽における中軸線の機能と発展
第四節 北魏の都市建設と中軸線
おわりに
第七章 中国都城史上における六朝建康城の位置づけについて
はじめに
第一節 六朝建康城と北魏洛陽城の中軸線
第二節 建康城の御道と南郊
第三節 建康城発展の方向性
おわりに
第八章 西郊から円丘へ─『文館詞林』後魏孝文帝祭円丘大赦詔に見る孝文帝の祭天儀礼─
はじめに
第一節 『文館詞林』後魏孝文帝祭円丘大赦詔
第二節 中国における儒教式祭天儀礼の性格
第三節 孝文帝による儒教式祭天儀礼の導入とその内実
第四節 北魏における祭天の性格
おわりに─唐における南郊の廃止─
終章 古代東アジアの都城の理念─北魏洛陽城から日本平城京へ─
はじめに
第一節 隋文帝の大興城造営
第二節 北魏孝文帝の洛陽遷都
第三節 日本の平城京遷都
おわりに
参考文献一覧
後記
〔中文要旨〕中国古代都城的设计与思想
〔Abstract〕Capital City Planning in Ancient China and Its Underpinning Ideas
索引(建築・事項・地名・人名・文献)
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